Academy-OB Choral Diary(練習日記)

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2021年12月18日

私の「練習日誌」
記事の編集
 今日は、今年最後の集合練習、そしてOB合唱団演奏発表会まであと3ヶ月となりました。
 今日の集合練習は、『優しき歌』指揮は、マエストロ・やっさん。

 作詩は立原道造、東京日本橋生まれで、どうやらそれなりに裕福なおうちだったようです。
 大学時代(東京帝国大学)は、建築学を学び、学業優秀だったという。どれほど優秀だったかというと「別荘を設計させれば彼は日本一」だったらしいのです。いまいちよく分かりませんが、優秀だった事は間違いないようです。1937年に東京帝大を卒業しています。
 道造の健康状態は良くなく、翌1938年夏ごろから健康が急激におとろえ始めて、東京の療養所に入院したが、翌1939年3月29日に亡くなっています。享年25(満24歳)です。
 生前出版に至らなかった『優しき歌』は、転移療養していた信濃追分滞在中に構想していたようで、信濃追分は道造にとって特別な場所で、20歳の頃から毎年のように訪れていたようです。
 旧中山道にひっそりと民家が並ぶ寒村の風景のなかで「追分は、どこからでも浅間山が美しくながめられる……」と言っていたようです。

 道造が亡くなる一週間前、東京江古田の療養所に見舞いに来た友人の「何か欲しい物はないか?」といわれ、道造はそれの答えとして。

 五月の風をゼリーにして
 持ってきて下さい
 ひじょうに美しく  おいしい
 口の中に入れると  すっととけてしまう
 青い星のようなものが  食べたいのです

 立原道造の最期の言葉「五月の風をゼリーにして……」

 小生は、このフレーズを聞いて、道造のもとへ、何を持って行けばいいか、いまもって分かりません。「青い星のようなもの」とは、何ですか?

 立原道造作詩 小林秀雄作曲 『優しき歌』は、OB合唱団が来年の3月20日の演奏発表会で演奏します。会場は、目黒区中小企業センターホールですが、この場所は私が生まれ育った家から、徒歩数分の所にあり、20歳になるまで一家で暮らしておりました。ただ、中小企業センターのこの場所に50数年前に何があったかは、私の記憶ではさだかではありません。
 当時のわが家は、今では桜並木の名所になっている目黒川をはさんだ反対側にありました。また当時通学していた、目黒区立田道小学校が近くにあり、来年には開校90周年記念をむかえるそうです。

 来年のOB合唱団演奏発表会当日、JR目黒駅から会場までの間、50数年前の面影がどこまで残っているのか、今からワクワクです。

 余談ですが、小生は1948年11月15日生まれ。当時の「母子手帳」には、午前6時20分、体重900匁(もんめ)で、今でいうと3375gと書かれており、ちなみに、お産婆さんによる自宅での出産です。
 余談の追加。
 目黒時代のわが家は、某企業の女子独身寮を兼ねて20人ほどが入居しており、私の両親は、女子寮管理人さん兼、彼女たちのお父さんとお母さんも兼ねておりました。
 また当時、私がアカデミー合唱団のサブ幹事の時、女子寮の一室で、技術系サブ幹事が集まり、打ち合せと合唱曲の音あわせをした事もありました。
 どうでもいい、余談の追加の追加。
 小生の誕生月日が同じ有名人は、というと、指揮者のダニエル・バレンボイム氏が、1942年11月15日生まれ。
 古くは、日本の江戸時代末期の土佐藩士の坂本龍馬が1836年11月15日生まれとのことです。

 来年こそは、新型コロナが収束にむかい、OB合唱団演奏発表会が予定通りに開催できることを願うばかりです。
 私は、これまでの人生生活信条として、「がんばらない」「諦めない」で、ここまで来ました。これからも、いつまでも「がんばらない」「諦めない」で………。

 改めて、OB合唱団の運営委員のみなさんと、団員のみなさんに感謝、感謝です。


Ten.寺山九団




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