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2020年2月1日
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俺は孤独なベースマンだ。 ベース…不安定な安普請(やすぶしん)を支える、見えない土台。 重荷を背負って黙々と山道を登る強力(ごうりき…この言葉を知る奴も、もはや少数派) …そんな姿が、俺には似合うと思う。 2月1日。今日も、角を曲がった先の自販機で水を買う。いつものルーティーンだ。 稽古に身が入ると、ヤケに喉がかわくのだ(肉体の乾きではなく、心の渇きかも知れない) 教会の扉をひらくと、すでに到着している連中の、おしゃべりと嬌声が耳に飛び込んでくる。 あの発声を歌に活かせば、不安定な音程や、煮えきれない表現も解消するだろうに…と、常々思っているが、そんなことを口に出来るほどの勇気は、俺には……無い。 いつものように、体操の姉御(あねご)が、俺たちのナマッタ体に「焼き」をいれる。 メソッドはシンプルだが、合理的かつ機能的だ。骨盤と肩甲骨周りの柔軟性が、体をコントロールする「キモ」だという…ナルホド! 本日の、声のウオームアップは15分間だった。俺にはこの位がちょうどいい。 1時間におよぶボイストレーニングは……苦手だ。 そしてカデンツァ。ごくまれに倍音が鳴ることがある。 音響学的に、根音の周波数の整数倍の振動が生じることは、無知な俺でも知っている。 しかし、必要条件として、その基本の周波数が安定していなければならない。 俺らの「ゆらぎまくるピッチに倍音が生ずることは、まずない。あれは錯覚・空耳だ」と言う奴もいるが、俺は信じる…声の奇跡を。奇跡とは、まれにしか起こらないから、価値があるのだ。 さて、曲の稽古だ 今日からは「カヴァレリア・ルスティカーナ」復活祭の音楽…レジナ・チェーリ。 「田舎の騎士道」という名の、この陰惨な内容の物語につけられた音楽の、なんと美しいことか! それにしてもこの譜面は読みづらい。演奏者の生理を無視して、ヴォーカルスコアにしてしまっている。フルスコアが比較的整然と読みやすいのに、これはいったい何だ!と怒ってみてもしょうがない。もしフルスコアで歌うことにでもなれば、矢継ぎばやの「めくり」に疲労困憊(こんぱい)することになるだろう。 ボスの言うように、自分のパートに目印をつけ、あらかじめ、よくさらっておこう。 ちなみに、楽譜のことだが、 音楽=空気の振動を紙に描くと、現代の手法では、五線紙に現れるオタマジャクシとなる。 楽譜とは建築の設計図のようなものだ。 つまり、俺らの作業は、書かれているデータを、忠実に「意味のある音」にせねばならない。 しかも、俺らの音は所詮、パーツなのだ。 全体の構築は、指揮者=工事現場の現場監督にゆだねられている。 俺らの現場監督は優秀だ。 指示は的確だし、声もデカイ! ボーッとついてゆけば道に迷うことは、まずない。 だが、きっとチコちゃんには叱られるだろう。 そんな生き方は、表現者にあるまじき姿だと。 耐震設計の建造物をつくりあげるには、細心の注意と、たゆまぬ研鑽が必要なのだと。 おっと、俺に似合わぬセリフを吐いてしまった。 ところで、俺らの組の世話役は、誠実な男だ。 必要な連絡を欠かしたことは…無い! だから世話役の依頼は断れない。 「稽古日誌、お願いします」と奴。 「ああ、でも、まっとうな文章なんぞ書けねえぞ」と内心、俺。 これをアップすれば、奴は面食らうだろう。 読んだ組員たちは、「ごたくを並べるな!」と怒るだろう。 だから先に謝っておく。 「二度と俺に原稿依頼などするんじゃねえ」と… …俺はやっぱり孤独なベースマンだ。
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