Academy-OB Choral Diary(練習日記)

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各パート順に、団員が持ち回りで書いています。
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2023年1月29日

集中練習二日目
記事の編集
集中練習の後半となる2日目です。午前中は海鳥の詩。指揮者より、遅い曲に関しテンポを前向きにとらえる、早いところは冷静に、言葉を摩耗させないなどの指導の中、トーンがそろってきている点を褒められました。我々とは違うエリート集団(野武士軍団?)のようなところだと、自分の力量を主張しようとばかりに声量過多で個性を発揮してしまう人ばかりになりがちのようです。そうなると良く作用すれば声の大きい人が声の束の芯となりまとまるかもしれませんが、下手をすると束のトーンを乱す場合があるというもろ刃の剣となりかねません。パートで声の束を作り、ひいては他パートとともに全体を作ろうとする方が理想と言えるのかもしれません。私の偏見かもしれませんが、無意識にいつのまにかその理想を目指そうとしている方が多いところが、我々のストロングポイントのように感じます。
午前中の練習の中で、指揮者から、この曲をどういう経緯からどのように歌いたいかとの問いがありました。不覚にも、歌詞全体はあまり意識していなかったことを気付かされた私は思考停止で固まってしまいました。個別の歌詞を効果的に表現する歌唱技術には注力する一方で歌詞全体をあまり感じようとはしていなかったのです(この反省は午後にも重ねて感じることとなったのですが)。厳しい環境にしかいられない中で強くたくましく生きる北の海鳥たちを思い描かずには、この深い世界を十分に表現することはできないのでしょう。改めて楽譜の目次前ページの文章を見てみましたがその抜粋は次のとおり。
<・・・辺境の、過酷なまでに厳しい自然の中で生きなければならぬ者の哀歌が、まるで古代の悲歌のような壮重さと高貴さで歌いあげられている。歌われているのは海鳥たちであるが、詩人の眼は明らかに人間に照り返されていて、我々を共感と内省へと誘うのである・・・>
決して「あの鳥たち大変そうだねえ」どころではないのです。
午後、最後の通し練習では、各人の立ち位置を変え、隣には同じパートの人がいないといういわゆるスクランブルフォーメーションで第2ステージの演目を歌いました。そして、全4曲それぞれの曲の前に、ソプラノR様に心のこもった歌詞の朗読をしていただきました。朗読のたびに皆から感嘆のため息と拍手が沸き起こり、こう歌うんだよとの指揮者からの要望に皆の笑い声が再び。それからの歌唱であったためか、細部の出来はともかくも表現力抜群のアンサンブルが出来上がったような気がしました。他パートの方と一緒に一体を作り上げていることがよりはっきり感じられ、かつ、歌詞に綴られた内容はこういう世界なんだと再認識しながらできた分、この時間は、私にとって、この日で最も刺激を受けたときでした。
現実には、曲に込められた思いを歌唱で表現することは簡単ではありません。私はただただ、単調な生活の中、また、コロナ禍の様々な制約の中、それぞれの曲の世界を演じることができる機会が与えられたと、そのありがたい現実を噛みしめて本番を迎えたいと思います。演じたいと思う気持ちが上記反省に対する効果的な対策であると信じたいです。
長くてごめんなさい。本番近いからか少し熱くなってました。
 ベースTT





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